美人の基準は、国や時代によって大きく異なります。
たとえば、平安時代の美女の条件は「髪」でした。
(白い肌や切れ長の目なども平安美人の条件ではありますが、美しい髪の方が重視されていたと思われます)
『源氏物語』に登場する末摘花と言う女性は、文才に乏しく容姿も冴えなかったそうですが、黒髪の美しさだけは抜群だったため、光源氏の心を掴むことが出来ました。
美の基準の中で「髪の美しさ」が最重視されている時代背景だったため、地毛に自信のない女性たちはこぞって『かもじ』という、今でいうウィッグやかつらのようなものをつけて黒髪ストレートロングを装っていたくらいだそうです。(清少納言もこの『かもじ』をつけていたと思われる記述が残っています)
私の高校3年生のときの担任は国語の先生で古典文学を得意としていたのですが、その先生から教わった話は印象的で今もいくつか鮮明に覚えています。今日は、そのうちの「藤原芳子」という平安貴族の女性の話を中心に書いてみます。
平安時代の貴族女性は皆ロングヘア
平安時代では、長い髪が美人の条件とされていました。
貴族女性たちの髪の毛は自分の身長よりも長いのが普通でした。
打垂髪や垂髪と呼ばれるヘアスタイルで、後ろに長く垂れ下げた髪型をしていました。
藤原芳子の髪の長さ
藤原芳子とは
藤原芳子は、村上天皇の寵愛を受けた女性です。
住居として後宮の宣耀殿を賜ったので「宣耀殿女御」とも呼ばれます。
彼女は顔立ちも美しいのですが美しい黒髪ロングヘアであることでも有名でした。
目尻は少し下がり目だったそうです。
『大鏡』という書物の中では「御車に奉りたまひければ、わが身は乗りたまひけれど、御髪のすそは母屋の柱のもとにぞおはしける」と描写されています。「(出掛けるために)ご本人は既に牛車に乗ってらっしゃるのだが、髪の毛のすそはまだ母屋の柱にある」という意味です。
ちなみに、非常に聡明でもあり、『古今和歌集』をすべて暗記していたそうで、噂を聞きつけた村上天皇が「本当に暗記しているのか」試験したところ、すべて間違えることなく答えることができたことも記録に残っています。(まさに「才色兼備」ですね!)
藤原芳子の髪はどれくらい長かったのか?
前述の通り、藤原芳子は「ご本人は既に牛車に乗ってらっしゃるのに、髪の毛のすそはまだ母屋の柱にある」という状況が生まれるくらいのスーパーロングヘアでした。
では、具体的に、どれくらいの長さだったのでしょうか?
一説には、藤原芳子の髪は7メートルもあったと言います。
(11メートルあったという学者もいるそうです)
もしかしたら多少話を盛っているのかもしれませんが、平安時代の貴族女性は現代女性とは比べ物にならないほど長い髪をしていたことは争いのない事実です。
平安時代のヘアケア事情
当然、平安時代にはシャンプーやトリートメントなんてありません。
では、現代のようなヘアケア製品が一切ない中、平安時代の貴族女性たちはどのようにして美しい髪を維持していたのでしょうか?
米のとぎ汁でお手入れ
先生によると、多くの女性は、米のとぎ汁を使ってお手入れをしていました。
しかも、米のとぎ汁を使って髪を洗うのではなく、櫛を使って米のとぎ汁を髪に馴染ませていたのだそうです。
というのも、そもそも平安時代には洗髪の習慣がありませんでした。(※髪をすすぐにしても頻度はかなり少なかったです。そもそも、お風呂も現代人が想像するものとは全く違い、蒸し風呂で汗を流し、浮き出た垢などを拭き取るスタイルでした。平安貴族にとってのお風呂は、清潔に保つ目的よりも、身を清めるための「禊」の意味合いが強かったそうです)
米のとぎ汁でのお手入れは非常に理に適っているそうです。なんと、米のとぎ汁には、タンパク質、ビタミン、ミネラル、アミノ酸、抗酸化物質などが含まれていて、これらの成分が健やかな状態を守り、髪の毛のツヤを保つ効果があるのだそうです。古い角質を取り除く作用もあり、汚れを落とすのにも適していたようです。私のおばあちゃん(大正生まれ)も「子どものころは米のとぎ汁で頭を洗った」と言っていたような気がするので、「米のとぎ汁」の安定感・信頼感と、シャンプー剤が登場してからの生活環境の変化スピードが速すぎることにビックリします。
さて、櫛でお手入れするだけといっても、想像を絶する髪の長さです。大変さは容易に予想がつきます。時には、1人の貴族女性に対して複数の女房がついて複数人がかりで髪を梳いていたほどの大仕事だったそうです。
お香を焚いて体臭対策
(ニオイ消しのため)香を入れた枕に髪を巻きつけて寝ていたそうです。(就寝時は箱に入れて髪の毛を摩擦ダメージから守るなどの工夫もあったそうです)
それでもニオイが気になるときは、お香を焚いて誤魔化していました。(制汗スプレーも消臭スプレーもない時代です!)
平安女性を真似して洗髪習慣をやめたら黒髪美人になれる?
もしかしたら「髪の毛を洗わない美容法」に興味を持った方がいらっしゃるかもしれませんので、書いてみますが、私の場合は「毎日髪を洗うこと」を辞めたら良いことがたくさんありました。
具体的にいうと、私の場合は、肌荒れやフケに悩んでいましたが、意外にも、洗髪の頻度を落としたことで悩みを軽くすることが出来ました。(洗いすぎにより逆効果でフケが増えていたようです!)
勿論どれくらいの頻度で頭を洗うべきか、については個人差が大きいです。
そもそも頭皮は毎日皮脂が出ていますが、皮脂をそのままにしていると、皮脂が酸化したり、皮脂を好む雑菌が繁殖して、ニオイやかゆみの原因になってしまいます。皮脂分泌が活発な方は毎日頭を洗った方が好ましいですが、皮脂分泌が少ない方は必ずしも毎日洗わなければならないわけではありません。ご自身の体質やライフスタイルに合わせることが大切です。
現代女性と平安女性とでは生活環境も大きく違います。
特に、黄砂やPM2.5などは、髪に付着したままだとダメージヘアの原因になりうるそうので、洗い流すことも必要です。時代に合ったケアが大事ですね!
平安時代の美人の条件に関するよくある質問Q&A
平安時代の女性がモテる条件は?
平安時代での美人の基準は「サラサラした艶のある長い黒髪」「キメが整った白い肌」「切れ長の細い目」「ふっくらした頬」「鼻筋が通った小さな鼻」「おちょぼ口」で、体型もふくよかな方がモテました。
平安時代の美容は?
顔に白粉(おしろい)をたっぷり塗って肌の白さを強調し、眉を抜いて額の上部に描き、唇は小さく見えるように描いていました。また、髪は米のとぎ汁でお手入れしていました。
平安時代の美人の髪型は?
平安時代は、黒くて艶やかなロングヘアが美人の第一条件だったといわれています。平安時代の貴族女性は髪を長く垂らした打垂髪や垂髪が主流でした。百人一首に描かれている女性の髪型を想像していただけたら分かりやすいと思います。
平安時代の美人の具体例は誰?
世界三大美女の一人「小野小町」も平安時代を生きた女性です。「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」は、若い頃は絶世の美女と謳われた小野小町が、老いを憂いて詠んだ歌です。深草少将の百夜通い(⇒小野小町に求愛した少将が「百日間毎日通い続けたら受け入れる」と言われて毎日欠かさず通い続けたのに99日目の夜に凍死してしまったという伝説)が有名です。
平安時代のシャンプーは?
平安時代には勿論シャンプーなんて便利なものはありません。 米のとぎ汁や灰を溶かした水の上澄みを髪のお手入れに使っていました。洗髪には大変手間がかかるため、日常的なお手入れは髪に米のとぎ汁をつけて櫛でとかしていました。